権力に寄り添うと束の間のオイシイ思いをすることができるけど、その反面痛い目に合うリスクもあるよってことで

そんなわけで、某日本のポップスの神様が炎上中なのである。事務所の内ゲバをうまく処理できず、自分が燃え上がってしまったらしいのだが、とにかくいわゆる音楽ファンでこの方を嫌いという人に筆者は人生の中で会ったことが一度もないのである。平凡な一般人が人と違う通な音楽を聴いている気分にさせてくれる、という存在の需要が高かったのだろうが、正に神様なのである。ちなみに自分は珍しくその例外の一人である。自分にとってはこの方はジャップにありがちな典型的なパクリ野郎でしかなく、音楽的な嗜好も自分の好みとはかけ離れており、歌声も好みではなく、歌詞はキモかった。このブログでは以前にも何回か同じことを書いているが、自分はモテない男のシケた恋愛表現に強い抵抗があるタイプなのである。


まあ、ミジンコ以下の価値しかない自分の意見など最高にどうでもいいのだが、炎上の原因となった問題の本人のラジオ番組での釈明は本人には悪気はないとはいえ、世間しらずのアーティストが上から目線でやらかした感は強かった。氏はまず「音楽業界の片隅にいる私に、某事務所の内部事情など全くあずかり知らぬことですし、まして性加害の事実について私が知るすべは全くありません」とおっしゃっているが、これを素直に信じることができる大人は信者以外だとほとんどいないだろう。ミジンコ以下の俗世間とかなり距離をおいて生きてきた自分でさえ、数々の疑惑やケツ持ちに大物政治家がいるからやりたい放題できているのだという噂をかなり昔から伝え聞いていたくらいなのだ。ましてや、性加害については誰もが言っていることではあるが東京高裁が2002年5月にその事実を認める判決を出しており(その後某事務所側は上告したが最高裁が棄却)、それを全く知らなかったと言い張るのはかなり厳しい。これは問題の方が亡くなるつい最近まで続いていた現代版の性奴隷の話なのである。これを知らなかったで済ませるのは無理だ。こう言い張ってしまったことで、逆に氏は権力の保護下で何をやっても公にならないだろうバレないだろうという算段の元で金儲けに走っていた側の人間だったということを、自ら明らかにしてしまったのである。


ラジオではその後にさらにこの手のミュージシャンが忌み嫌うであろうアイドルグループの名を挙げ連ねて、絶賛していた。まあつまり、テレビに出なかったりとストイックなミュージシャンの体でイメージを作って生きてきたのだが(そしてそれが非常にうまくいっていたのだが)、最初からミュージシャンとしてというより人間としてズブズブだったということである。


そして最後に氏は「このような私の姿勢を、忖度あるいは長いものに巻かれていると解釈されるのであればそれでも構いません。きっとそういう方々には私の音楽は不要でしょう」と述べているのだが、これには非常に納得がいった。なぜなら、氏のファンも氏同様に、長いものに巻かれ、権力に寄り添い、人として正しいことを行うということを二の次に人生を送っている人ばかりだからである。氏はそれ以外の人に届くような音楽を作ってはいないとはっきり宣言したわけで、これはこれで正しいと思う。これまでもそうやって稼いできたのだから。





だがしかし、氏の発言どうこうはともかく、この問題はつくづく根が深いと思う。なぜなら、この現代版の性奴隷を日本社会全体がそして特に日本人女性があまりにも長い間許容してきたからである。「性奴隷を愛でる」というのはその字面を見るだけでも気持ちが悪すぎるし、やっていいこと悪いことの範疇をはるかに超えてしまっている。つまりは、「そもそも日本とはこういう国である」ということを今回の出来事は表にさらしてしまったのである。本来なら女性が生理的に嫌悪しなくてはならないことを逆に熱烈に好き好んでいたわけで、この件だけでも日本人女性のあらゆる他のトピックに関しての発言でさえ説得力は著しく削がれてしまうのである。「私は元々好きでもなんでもなかった!」といってももう遅すぎる。なぜなら沈黙は同意と一緒だからである。あんた黙認してたんでしょ?と日本国外の人に言われて、そんなの知らなかったもん!という言い訳をかますのは無理筋である。


もちろん、本当に悪いのは某事務所だったり視聴率のためにそのタレントを酷使してきたテレビ局なのであるが、これはそれだけの問題ではなく、その状態を長年許容してきた日本社会にも責任がある。繰り返すが「性奴隷を愛でる」という文化を21世紀になってまでも続けていたのだから、悪質さはナチスドイツがやったこととあまり変わらないのである。これを知らなかったで済ませるのは難しいというより不可能なのだ。





芸能界に話を移して考察すると、これはまた別の闇の話になる。これは違った意味で芸能人が問題にしづらい話なのだ。


例えば、ある二人の女性がオーディションで一つの役を争ったとして、

  • 美人とブスなら美人が勝つ
  • 同じ程度の美人ならよりおっぱいのデカい方が勝つ
  • 同じ程度の美人で同じ大きさのおっぱいなら枕営業を厭わない方が勝つ

という結果になっても全くおかしいことではない。これはある意味、自然の摂理とも言えるからだ。こういう競争の中で、わざわざブスな方や気の利かない方を選ぶ人というのはなかなかいないだろう(もちろん上記のような観点で品定めしない人がいたとしたらそれは素晴らしいことであるが、そんな人いますかね・・・、特に日本の場合は演技力なんて全員ゼロですからね・・・)。


*ちなみに全く同じ意味ではないのですが、似たような現象についてThe Smithというバンドのモリッシーという人が、「Some Girls Are Bigger Than Others」という曲の歌詞で極めて詩的に表現されています。拙文との才能の違いを堪能して頂きたい・・・


そして、もしこのような法則に則って芸能界の階段を駆け上がってきた人であれば、今回の件を批判できるはずがないのである。なぜなら、自分もそうやって性に忖度して生き抜いてきたのだから。


ただし、某事務所の場合はそれを少年(しかもハイティーンではない少年)に強要していた、というところで他のケースと大きく内容が違うのであるが、とにかく芸能界の場合、今回の問題に関わらず、みんな似たような船に乗ってぷかぷかと浮き沈みしてきたわけである。そしてそれをよしとして許容してきたのが日本社会なのである。


*ちなみにそれを所属のタレントにゲロらせようとする人がいたりするが、これは鬼畜すぎるだろうと思われます。だって、「自分はルックスもたいしたことないし、歌も踊りも下手だけど、某ナニのナニをナニしたから今の地位があるんです!」なんて言わせられますか?


ちなみに、今回の氏の炎上の元となった告発者的な方のコラムにはこう書いてある、

BBCの予告編に出てきたが、取材スタッフは、性加害の有無そのものより、疑惑を認識したうえで放置する、つまり実質的に容認しているニッポン社会が怖いといった内容のことを語っていた。

まあ普通そう思うよなと思うことが、長年日本ではまあいいじゃないのと見過ごされて誰も警鐘を鳴らす人がいなかったのである。そして、その状態を強く後押ししていたのは日本人の特に女性というのが罪の重たいところなのである(マジでAKBなんて搾取としては可愛すぎますよね・・・)。





ただし、自分の人生を振り返ってみると確かに日本人にはそんなやつらしかいなかったというのも事実で、大企業に入ってなんか自分まで強くなっちゃったみたいに勘違いしちゃうやつとか、白人が大好きすぎる性格の悪いブスとか、日本人なんてそんなのばっかりなのである。みんな権力の下で楽して偉そうに生きていきたいのである。気持ちは分からないでもないが、そんな人生自分はゴメンなのである。


まあ、いい加減今回のことをいい機会として、上にいるやつらはみんなグルということに気づいて自分なりに考えるところからはじめるのがせめてもの償いなんだろうか。もう手遅れな気もするが。だって、しつこいけど「性奴隷を愛で」てたんだぜ?しかも全力で。





終わりとして、もう一人、晩年に金のためだかなんだか知らないが某事務所にすり寄って醜態をさらしたのフォークの神様ってのがいるのだが、そこらへんにも飛び火できるほどのジャーナリズムが日本に存在しないし、庶民はそんなことすら気を回す知能がおそらくないだろう。これもただのつかの間の暇つぶしとポンコツメディアの飯のタネでしかないという、いつのも光景で終わるはずなのである。


そんなことも含めて日本というのはどうしようもない国なのである。自浄作用する仕組みもなく、その時その時で強い権力者になびいてきた結果が今の日本なのである。まあ寂しいが、それが否定しようのない事実&現実、という話なのである。