オッペンハイマー見てきたよーという話

さて「映画の日だしー」と思ってオッペンハイマーを観てきたのである。監督はクリストファー・ノーランなので、観る前から微妙であることはわかりつつ観に行ったという感じである。

・先に結論


色々なゴタクはともかく、結論を先に行ってしまうと、「映画の体を成していない映画」という感じである。なぜなら「伝記をただそのまま映像にしただけだから」である。これを映画とは言わない。映画は大きなスクリーンで監督が創り出した映像美や世界観を鑑賞するという芸術であるが、この映画にはそんな要素は一切なく、単にオッペンハイマーの人生のトピックをかいつまんで3時間(長いよ・・・)に収めたというものである。もし、時間がない人であれば、彼のWikipediaのページをさくっと読めばこの映画を観る必要はそんなにない。10分もあれば読めるだろうことを3時間かけて鑑賞させられるのである。この映画には、Wikipediaにある以上のこれは!と思わされる情報は全く出てこない。教育用の素材として子供に見せるのなら価値があるかもしれないが、それなら普通に彼の生涯を良質なドキュメンタリーにした方がよっぽど有意義であって、あくまでも娯楽を目的に観てしまうと「うーむ・・・」というのが正直な感想である。



ただし、前述したがこれはこの映画に限ったことではなくイギリス人が監督した作品に顕著に発生する現象だったりする(まあそれだけ歴史という部分に深い興味があってフォーカスしてしまうんでしょうね)。イギリスは音楽はとてつもなくすごいが、映画はすごくないのである(役者はシェークスピアの件もあってやたらハリウッドで評価が高く、重用されていますが)。


ということで、再度まとめるとこの映画は「なんの面白みもないただの伝記映画、だとしたら、マジもんのドキュメンタリーみたいのを観た方がいいよねー、というかBBCあたりのハードコアなドキュメンタリーが見たいね!」というのが自分の感想である。





以下はその他のゴタクである。

・解説なんていらない

まず、観終わった後にYouTubeなんかで他人の意見を参考にしようと何個かチャンネルを除いてみたのだが、「全貌を理解するために◯◯さんの解説を事前に見てから映画館に行った」という人がいて、心底ビックリした。このブログでは何度も書いているがいわゆる「解説屋」の解説は事前だろうと事後だろうと絶対見たり聞いたりしてはいけないのである。それを見ることによって、あなたがわざわざ映画館に赴いて、あなたの感性を通して受け取った感覚や余韻が見事に他人の知識に上書きされてみんな同じにされてしまうのである。これを一般社会では「洗脳」といったりする。また、いわゆる画一性を人間に求める共産主義者(日本ではパヨクね)が最も得意としている手法である(だから日本ではこの手の人間はドパヨクなわけ)。


もしあなたが一般的な知能しか持ち合わせていないのなら、絶対に解説なんで見てはいけない。じゃないと洗脳を受けてしまうのである。情報を仕入れるのであればWikipediaで十分であるし、どうしても理解したい場合はレンタルDVDでもう一度観るくらいに留めることにしよう。裏技みたいな余計な知識なんか知ったところでどうしょうもないし、そもそも映画なんてただの娯楽なので正しく理解する必要性や義務は皆無なのである。その時の映画館の雰囲気やその日の記憶、観終わった後に食べたラーメンの味といった、物理的な体験をもっと大切にしよう。やつらの目的は自分の主義主張を浸透させることが目的であるからして、そもそも近寄らないほうがいい。大切なのはこの映画を正しく理解することではなく、歴史上の出来事をこの映画を見たことを機会に正しく理解しようと試みることである。決して本質を見失わないように。そして大切な論点からあなたの目をそらさせようと頑張っている人がこの界隈にはウヨウヨしている。気をつけて。

・日本での公開そのものの賛否

そもそもこの映画は日本で公開すること自体に議論があり、結果公開が遅れたらしいのだが、何を問題にしているのか?ということさえわからなかった。日本人が「一億玉砕」をかかげて、最後の一人まで戦うと言っていたことはただの事実である。だからといって、民間人を原子爆弾で虐殺していいということにはならないが、この映画は別に原爆投下を正当化しているわけでもなかった(なぜあんなに急いで作って落とす必要があったかというのは、ナチスが同じ研究をしていたからだというのもちゃんと説明されていた)。


*原爆投下については過去にこの記事でも言及しています

なので、この映画は第二次世界大戦中のアメリカ側の視点はどうであったかというのを確認するのにはいい資料になるという感じである。これに発狂するのはちょっと筋が違うというのものである。日本は単に競争に負けて、その結果、一般人が大量に殺されることになったというのが事実というだけで、変に発狂するのは子供じみている。

アインシュタインのシーン

劇中、唯一映画っぽかったのはオッペンハイマーアインシュタインと池のほとりで話すというくだりなのだが、これも映像作家としてみると力量はしょぼかったという感じが。最初と最後で同じシーンが繰り返されるのだが、もうちょっとやり方があったように観ていて思ったし、アインシュタインをネタにもうちょっとストーリーに幅を持たせてもよかったと思う。

・いまさらセックスシーンって・・・

これもポリコレ全盛の今、そもそもこんなことして許されるのか?というくらい陳腐な何の意味もないセックスシーンが早々に挿し込まれてうんざりさせられた。昭和ならともかく、今こんなシーンをわざわざ挿入してどうなるの?というくらい尺もムダに長くなるしデメリットしかなかった。まあ、これも恋愛ベタなイギリス人らしいが、それにしても誰か周りのやつが止めてやれよというくらい必要性がなく、いらないシーンだった。

ユダヤ人の優秀さ

最後に、映画を観ながら改めてつくづく思わされたのは、ユダヤ人のとてつもない優秀さということである。日本人も検討しているが、世界史におけるユダヤ人の文明に対する貢献というのはとてつもないものがある。頭がいいというのはすごいことなのだと思った。原爆だけじゃなく、コンピューターだってなんだって、ありとあらゆる画期的な発明はユダヤ人によるものである。

だとしたら現在のシオニズムの活動には?と思ってしまうが、歴史の事実として我々はユダヤ人が様々な困難を乗り越えて創り出したイノベーションに大きく依存して生きているのである。


という感じで、まあこんなオッサンの感想はともかく、興味があればぜひ劇場に足を運んで頂きたい。時間がなければWikipediaをさらっと読んでそれで済ますことも可能だ。3時間はいくらなんでも長すぎる。そんな感じの映画である。