坂本龍一「12」

というわけで、高橋ユキヒロに続き、坂本龍一まで亡くなったのである。最後に残ったのが、一番不健康そうな細野さんというのも人生というか運命の皮肉さを感じるのだが、最近はずっと坂本の遺作となった「12」というアルバムを聴いているのである。アナログ盤は驚異の8,800円である。



思えば、坂本龍一という人がどういうミュージシャンだったかというのを簡単に表現しようとすると、「めちゃくちゃアカデミックな教育(東京芸大)を受けたのに、異様にポップな曲を作る、しかもそれがいい」という特徴をあげることができるだろう。それ以外の部分はこの彼の秀でた長所と比較すると些末なものに感じられる。



どれも曲がいいのもあるんですが、それとやっぱりアレンジが秀逸なんですよね・・・


また、彼のミュージシャンとしてのもう一つの優れた点として、非常に優れたアレンジャー(編曲家)であったことも言及せずにはいられない。数多くの名曲は彼の編曲があったからこそという曲が多いのだが、自分は特に細野さんの「Simoon」のアレンジが秀逸だと思う。この浮遊感やキラキラした感じは未だに新鮮さを失っていない。


ファーストアルバムはぜひこっちの細野さんプロデュースの方を聴いて頂きたい、アメリカ盤は安っぽいフュージョンみたいな音に改悪されちゃってるので


細野さんのプロデュース(日本で唯一、音質を管理できるプロデューサーですよね、細野さんは、だから古くならない)と坂本龍一のアレンジがこんなに美しく融合した曲があったので、これをひたすら続けるだけでもよかったのだが・・・。





そしてもう一つ、こちらも触れないわけにはいけない、ミュージシャンとは別に彼のもう一つの顔として「日本を代表するパヨク文化人(ミュージシャン)」という属性もあった。昔、ドキュメンタリーでモンゴルの草原でわざわざ発電機を動かしてMacからメールを送ってたりして、失笑を買ったりしてたのだが(まあこれも非常にパヨク文化人っぽいですけど)、最終的には非常にありがちなパヨク文化人の一人として有名な「たかが電気のために」という言葉を世の中に投げかけたりと、このパヨク属性と一般的な日本人との「なんか違うんですけど」という意識の掛け違いは死ぬまで微妙な雰囲気として続いたままだった気がする。彼がパヨク(まあ元々は極左だったんでしょうが)になってしまった理由は、父親に対する恐怖心や反骨心を左翼的思想を拠り所にして解消する(まあこれが典型的なパヨクのルサンチマンというやつなのですが)というものだったのだろうと推測できるが、大変申し訳ないがアカの他人にはそんなことはどうでもよく知ったことではないのであるからして、音楽だけを頑張ってくれた方がありがたかったりしたのである。


また、これも他のパヨク文化人と一緒で、彼が誰か弱者のために身銭を切ったという話も自分は聞いたことがない。聞いたことがあるのは某売国政党献金したということだけである。そこらへんのあくまでも特権階級としてのパヨクのたたずまいと、本当の弱者には寄り添うことのないアティテュードというのはドパヨク文化の中で生まれ育ち、ドパヨクの本性をつぶさに観察してきた自分にとっては最期まで違和感として感じていたのである。


さらに自分を絶句させたのは某パヨク(自称)コメディアンと某パヨク(自称)ジャーナリストからの追悼の言葉である。こんなやつらから手厚く追悼されたら逆にご本人を冒涜してることになるのではないかと・・・。これが世界に誇るサカモトの最期だと思うと、なんとも言えないはかなさを感じたのである。そして同時に、この2人からの追悼があって彼の人生がやっと完成したような気もした。改めて、人の評価というのは死後に決定されるのだとも思ったし、それを本人がコントロールできるわけもなく、極めて表層的なパヨク文化人としての評価と、一般人の「夢と感動をありがとう!」的な安っぽい思い入れが世の中にどくどくと溢れできている状況を見て、非常に色々なことを考えさせられた。





さて、表題の遺作「12」についてなのだが、これも過去の例にもれず、ミニマルな曲もいいのだが、その中でもポップな味付けがされた曲が特にいいのである。このポップさがなければ、凡庸な「シケたECM」みたいな作品になっていたかもしれず、非凡なポップさがこの作品を特別なものにしていると思った。また、曲によっては「スーハースーハー」と苦しそうな呼吸音が入っていて、これを本人は「わざとではない」とツイッターで明言しているのだが、



「んなわけねーだろ!」と熱心なファンでもツッコんでいるのではないだろうかと思うくらい「スーハースーハー」しまくっているのである。これがわざとではないのであれば、彼の全てのピアノのアルバムに呼吸音が入っていてもおかしくないのだが、そんな過去の事例はないのである。まあ、自分は全くこの「スーハースーハー」が気にならないし、これによって曲のクオリティが傷ついているわけでもない。ただ、こういうところにも本人の人間性を垣間見ることが出来て非常に興味深かったのである。





そんなわけで、一人の偉大なミュージシャンが亡くなったのである。 残ったのは上述したような宴のあとのはかなさのような感覚である。そして、パヨク文化人として最高にクールな生き様を世に発信していた人が、最期は「スーハースーハー」しまくった作品を出したところにも思うところがあった。最期にどういう人間かというのを極めて具体的に表現して去っていったのである。それを他人がどうこう評価することではないと思うが、一個人としては他人の死後にこんな不思議ななにか矛盾したような感覚を味わったのははじめてである。


もう一つ、自分は細野さんの2018年のロンドンバービカンシアターで行われた公演を観に行って、まさにYMOが久々に一緒に演奏をするところを見ていたのである。



この時もなぜか坂本はわざと舞台に現れなかったりと、その人となりをさらしていたのだが、そんなことを書いてももはや蛇足な気がするので(実は一番詳細に書き残しておきたかったのだけどやめた)、本稿を終わりとさせて頂きたい。


思えば他にも、「千のナイフ」や「Riot in Lagos」など歴史に残る名曲がたくさん存在する。こういった数々の名曲たちが色褪せることは今後もありえないし、それどころかますます世界で発見、評価されていくことになるのであろう。戦後、日本人では最大といってもいいであろう巨匠が亡くなった、ということなのである。