ウクライナ戦争シリーズ03:「もし、自分たちの失政によって他人の人生がどうなってもよいと考えているのであれば、それは我々に1942年あたりにドイツで起こったいやな思い出を想起させる」

ロシアがウクライナに侵略してからかれこれ12日が過ぎようとしている。当初は西側ヨーロッパの各国もおそるおそる様子を見るという感じで口だけでの対応を取っていたが、現在は武力行使以外のありとあらゆる方法をとってロシアを国際社会から蹴り出そうとしている。ロシアのCDSを見ると破綻確率は80%以上になっており、例え戦争に勝ったとしても現状の体制を維持するのはほぼ不可能といった状態にある。だから米英のアングロサクソン同盟はどちらかというと現状への対処より、既にプーチン後の世界秩序をどう構築していくのかにフォーカスして話し合いをはじめているはずだ。


侵攻の最初期はそんな感じでNATOに加盟している国々は自分は巻き込まれまいと戦況を注意深く見守ると言った体で、悪く言えばウクライナを見捨てる戦術に出た。変に関わってしまうと、ロシアの核が飛んでくる可能性があるので理解できなくはない態度ではあるが、ウクライナがやられたら次は自分がやられる番という側面もあるので、どう振る舞えば一番正しいかを戦況を見つつ考えていたのである。


そんな戦況の潮目が変わったのはドイツが急に親ロシア的と言える政策を急転換して西側についた(何この表現笑)からである。ノルドストリームを停止したのにも驚かされたが、その後、国防費をGDP比2%超の1,000億ユーロに引き上げ(2021年は470億ユーロ)、急にロシアと対峙するようなフリを取りはじめた。


これはおかしい話でそもそもドイツはロシアと極めて親密な間柄だったのである。問題のノルドストリームの保有者、ガスプロムの取締役はシュレーダー元首相である。新しいノルドストリーム2の運用開始も間近でEU内でのガス供給を一手に仕切りたかったドイツにとって、ウクライナはただただ邪魔な存在であったに違いない。色々な理屈をつけてEUをでっち上げ、ユーロに通貨を変えることでマルクでの負債を帳消しにし、EU内の貧困国にまで自国通貨を破棄させ、経済から人的資源までありとあらゆるものを吸い上げる仕組みを作り、ここ最近のドイツは夢のような栄華を誇っていたのである。だから、今回のガス利権を独占することで、偉大なるドイツ帝国完全復活の道筋は、ほぼ完成形にまで近づいていたのだ。


もっと考えると、正直プーチンは開戦前に今の状況を思いもしなかったはずである。中国には直接出向いて話をつけ(開戦と開戦後の天然ガスや石油の取り扱いについてだろう)、ドイツとも机の下では話はついていたと思われる。ロシアはウクライナの半分を制圧する、それを見過ごしてもらう代わりにドイツはロシアの天然ガスの供給元としてEU域内の利権については独占できる(ついでにウクライナ経由のパイプラインを廃止させて)、と・・・。


推測の話が続くが、それを許さなかったのは米英のアングロサクソン同盟なのだろう。特にアメリカは極めて正確な情報をウクライナ軍に提供したらしく、開戦初期のロシア軍の侵攻を大幅に遅らせるのに貢献した。また、ジャベリンやスティンガーを提供し、開戦後もロシア軍がキエフに迫ることを絶望的に遅らせている。じゃあ、なんで最初からジャベリンとスティンガーを大量に供給しておかなかったの?というのは成人した大人であれば、絶対に言ってはいけない一言だ。つまり彼らはロシア以上に戦争を望んでいたのだ。湾岸戦争の荒っぽい開戦で世界中の批判を浴び、国としての信頼を大きく失った米英は、世界のどこかで大きな戦争を起こしたくてウズウズしていたはずである。愛よりも実利を望む彼らにとって(ここがラテン国とは違う精神性ね)、戦争は大きな売上を生む一大イベントでしかない。開戦させておいて勝つというのが究極のマーケティング手法で、彼らは今までそれでシノいできたのだ。結果、武器は売れに売れ、ロシアは衰退し、自分たちの世界におけるプレゼンスは保たれるどころかブチ上がる。


ということで、ドイツは何かの理由があって大転換を迫られたのである。今回の最大のナゾはここだが、どのようなディールが各国の間にあったかは明かされることは永久にないだろう。輝かしいEUを代表する2国のうち、ドイツはロシアとウクライナの中間に立つことをやめ、西側の代表としてふるまうことを決めたのである。決めただけで、これから国内の体制をひっくり返して対応していこうという状態なのが、いかにドイツがロシアに肩入れしていたかの証拠だ。


対照的に、マクロンは開戦前より忙しく動いており、今のところ、ただ動いているだけで何の役にも立ったことがない。しかし、フランスにとってはそれでいいのだ。間に立っているという役目を演じ続ける限り、フランスに核が落ちることは絶対にない。ウクライナから恨みを買うこともない。それは今回フランスが一番望んでいるポジションとも言える。何もしないで、ウクライナ人を憐れむ姿勢だけを見せておけば、実質的な被害は被らないからである。





そんなわけで、現在のドイツはロシアから距離を置くことを決めたフリをしなくてはいけない状況になっている(つまり筆者は今回の戦争が落ち着いたらノルドストリームは1も2もどちらも再稼働することが間違いないと思っている)。そして、それは今までのエネルギー政策が失敗、しかもありえないくらいの失敗だったことを認めることに他ならない。ドイツのロシア産天然ガスへの依存度は高く、↓の記事では14%となっているが、これは意図的にかなり低く見積もった数字だ(実際は原油と合わせて5割を超えていると言われている)。



他のヨーロッパ諸国のロシアのガスへの依存度もひどく(ちなみにガスだけでなく原油についてもロシアに大きく依存している)、こんな脆弱な状態のまま自国だけでなく世界中に対して、環境政策の変更を高圧的に迫っていたEUの責任はあまりに大きいし、馬鹿げていて愚かである。


またドイツは素早くウクライナ側に寝返るポーズを取りすぎたため、ロシア側に若干ゆり戻らざるをえなくなっている。ショルツ首相は7日に「ロシアからの天然ガスの輸入を止めることは難しい」との声明を出した。これは明らかな制裁破りである。というよりは、最初から出来ないことを高潔さを演出するためにやると言ってしまったということである。もっとわかりやすく簡単に言うと、世界に向けて見え透いたウソを体面を保つために堂々と言っていたということである。


ヨーロッパの白人という立場が実際にどういう絶対的な価値があるのかは知らないし知りたくもないが、彼らが声高に主張するまでもなく、誰もがCO2の排出量が少ない方がいいと思っているのである。パヨクが叫ぶ「戦争反対!」と同じ話で、おそらくプーチンだって(当たり前だが)戦争反対であろう。それと同様にヨーロッパに住む白人だけではなく、極東の黄色人種だってどこに住んでいる人だってCO2が少ない方がいいということは十分わかっているのである。天空から外界を見下す視線ではなかなか理解できないのだろうが、そんなことくらい、人間なら誰でもわかる話なので改めてドヤ顔で主張するテーマですらそもそもないのである。


だからこそ、そんな薄っぺらいプロパガンダをビジネスに昇華しようと徒党を組んでいたEUの罪は果てしなく大きいのである。浅はかなエネルギー政策はロシアを太らせ、荒唐無稽な電気自動車に対する急激すぎる傾倒ははただ単に中国の電池メーカーを太らせるだけの話でしかない。これがどれだけ危険なことかを彼らはこんな状況になってさえ未だに理解できていないのである。


もし彼らが、アメリカに唯一対抗できる軸として振る舞いたいのなら、世界の新秩序を設定し、他の人間を従わせたいのなら、見せかけのポーズだけではなく、実際に行動に表し、金銭での出血を被るべきである。


その中でもそんな環境カルトを主導してきたドイツの責任は重い。少なくとも、SWIFTから排除されたロシアにユーロをこれからも貢ぎ続けるのであれば、それ以上の金額をウクライナに費やす義務が彼らにある。もし、自分たちの失政によって他人の人生がどうなってもよいと考えているのであれば、それは我々に1942年あたりにドイツで起こったいやな思い出を想起させるし、そんな暗い思い出と今やっていることが寸分違わないことを知るべきである。


人生とは現実との折り合いをつけながら日々なんとかやりくりしていくものである。もし理想だけを見て、現実に起こっていることに目を向けることができないのであれば、それはinstagramtwitterにいいことだけを投稿して悦に入る愚かな人たちと何も変わらないのである。





まあここまではイエローモンキー中年小太り独身という敗北者に必要なフルスペックを備えている人の妄言と捉えられてもいいと思う。しかし、最後にこれだけは言っておきたい。全てをヒットラーのせいにして国民には同様の罪がなかったという理屈は今回は通用しないということだ。時代は変わってインターネットのおかげで世界中どこにいても均質な情報が手に入る時代である。今回は国民が同じ理屈で走って逃げるという手法は通用しない。あんたらが凍え死のうと世界は知ったことではない。それは自らが選んだことであり、誰かから頼まれてやったことではないからだ。世界はドイツの政府がどういう方針をかかげようと、それに対してドイツ国民がどういうリアクションをとるのかを注意深く見ていると思った方がいい。


ロシアに金を渡せば渡すほど、現政権の命が伸びることは明白である。だとしたら、まずはその資金源を断つのが先進国の役目である。それをドイツというよりは一人ひとりのドイツ国民がよく理解するべきである。