「ドライブ・マイ・カー」見てきたよ・・・という話

ということで修行するつもりで3時間の映画「ドライブ・マイ・カー」を見てきたのである。筆者は筋金入りの村上春樹ヘイターなので(かれこれ30年以上になりますか)、最初から期待などしないで見に行ったのだが、それにしてもゲンナリという感じであった。


まず、多くの人が書いているが基本全部のセリフが演劇がかっていてリアリティーがないのである。またセリフ回しもおかしく、文言もいちいち劇画調というか演劇がかっている。「ああ、構わんよ・・・」なんて現実では絶対ありえないセリフが全編で飛び交っている。カット割りも非常に稚拙で、話している人の顔は絶対抜くという決まりでもあるの笑笑?という感じで、3時間のホームドラマを見せられている気分になる。自分ならせっかく車をタイトルに使っているのだから、もうちょっとロードムービー的な撮り方をしたと思う。


また、これも多くの人が指摘していることだが、オープニングからして調子が悪いのである。なんかいかにも薄っぺらそうな女が演劇調のセリフを棒読みしまくり、それに対して前述したように現実ではありえない文言を使った会話のやり取りがテンポ悪く行われる。演劇調なのはまさにそれが台本を読んでいるからなのは設定のせいにできるが、それにしてもオープニングでこういった余計なストレスを観客に課すのはちょっと映画のテクニックとしては成り立っていないと思う(そもそも意図的にストレスをかけているわけではないだろうし)。また、そのセリフの中で映画の本編が始まって数分のところで「タンポンがどうの」というセリフが出てくるのも極めて気持ち悪く不快である。ここらへんのムダな肉付けを整理できていないので、尺が3時間になってしまったというのがこの時点でわかってしまうのは痛かった。


後は、他の方の秀逸なレビューがネットに既に山ほど掲載されており、そちらを見たほうがいいと思うので、ちょっと切り口を変えて論評を行ないたいと思う。というのも、そもそも「村上春樹とは」ということをわかってないとこの作品を理解するのは難しいからである。


村上春樹の作品というのは基本的に2つの要素しかないと思ったほうがいい。1つ目は、「何かを失ったと思い込み不幸ごっこをする裕福な人(中流階級)の戯れ」であり、2つ目は「興奮度ゼロのクソキモいセックス」である。これがどちらも中途半端で自分みたいな人間には物足りなすぎるというか「甘えてんじゃねーよ」と思ってしまうのだが、今作品はこの2つの要素を再現することには見事に成功している。


1つ目の「何かを失ったと思い込み不幸ごっこをする裕福な人(中流階級)の戯れ」は、一般社会の村上の評論ではよく「喪失感」と表されているが、ポリコレにも通ずる感覚というか、何も失うことのない幸せな人たちの暇つぶしとしての余興の一つなので、実際に何かを失っているわけではないのがポイントである。その状態がマジで何も持っていない下層階級のステータスと大きく乖離しているので、リアリティーを欠いた「ごっこ」になってしまうのだが、だからこそ日本の空虚なサラリーマン層に受けていたり、欧米(笑)の一般人に人気があるのである。


2つ目の「興奮度ゼロのクソキモいセックス」は自分がなぜ村上春樹を好きになれないかの一番の理由である。理屈はともかく、とにかく生理的にキモすぎるのである。村上春樹もそうだし、山下達郎宮台真司もそうなのだが、モテない男が女やセックスを語っちゃいけないのだ。これほど、気持ち悪くみっともないことはない。モテない男だからこそもうちょっとあっさりしたさわやかなセックスを描くべきなのである。女を知らないのに頑張ろうとするから変に過激でキモいだけの描写ができあがってしまうのである。ただ、これも1つ目と同じで、だからこそ日本の空虚なサラリーマンや欧米(笑)の一般人にウケている理由でもあったりする。みんなモテない同士でキズをなめあっているわけだ。


そんな感じで村上春樹を理解した上で、映画を論評するべきというのが筆者の考えである。映画がつまらない半分の理由は原作のキモさからきている。残りは監督の才能の無さである。特に意味なく長い映画になってしまっているのは監督の責任が100%である。



他に気になった点が色々とあるので↓に乱暴に箇条書きにしてみた。

  • 劇中に出てくる男の子は主人公含めて、顔もいいし、体もいいし、清潔感もあるのだが、いまいち男としての魅力に欠けるのである。なんか一緒にいて退屈そうなのである。自分が女だったら「なんかつまんねーセックスするんだろうな・・・」と思って避けるタイプの男ばっかりである。そこらへんのキャラの無機質さも映画の魅力を下げるのに作用している。
  • 主人公の奥さんは別に特別美人でもなく、ペラペラなしょぼい体で、脱ぎっぷりも最高に悪く、そのいい歳したクセしての中途半端ぶりにポカーンとするばかりであった。まあこの人の裸なんてなんの価値もないだろうからいらないが、だとしたら、そもそもキモキモなセックスシーン自体が不要だった。
  • とにかくあっさり人が死にすぎ。また、ある人の死因を説明するシーンが2回あって(寺の門でと車の中で)どっちか1回にまとめることができた。こういうとこが詰められてないので尺が長くなってしまうのである。
  • 一番メインのシーンの1つである主人公と若い男の子が車で話すシーンはなぜか「若い方が主人公に上から説教する」という訳のわからん設定で、その変さに気が散って、大切なセリフに全く集中できなかった。
  • また、そのメインのシーンは飲み屋街からホテルに向かう車の中で行われるのだが、そんなに長い距離ないだろーよというくらい車が走り続けているのである。田舎ナメすぎ。田舎はどこに行くにも車なら5分かかんねーよ。
  • 北海道へ向かう途中になんで高速じゃなくて下道走ってるの笑笑?まあ、絵面を稼ぐのが目的なんでしょうが、それにしても変すぎるでしょ・・・。
  • 主人公と運転手が「私は母をXXしたんです!」「いや、オレだって妻をXXしたんだよ!」というやり取りをして、これも映画の中のクライマックスの一つっぽいのだが、いやいやどっちもXXしてねーだろっていう・・・。まあ、村上春樹の主人公って基本不幸ぶるのが仕事だから正しいっちゃ正しいんだけどさ・・・。まともな精神の観客はみんな「いやいや、お前らどっちもXXしてねーよ!」ってツッコミをスクリーンに入れたと思う。
  • 劇中のかなりの時間を演劇の本読みのシーンが占めるのだが、必要と思われるカットはほとんどなかった。ただ一箇所、公園で練習するところは素晴らしかったのだが、他はマジでなんのためにやっているか全く理解できなかった。
  • 主人公が劇中、大きな決断(二択)を迫られ、考える時間をもらうというシーンがあるのだが、今まで色々映画を見てきたがこれほど主人公の決断が見え透いてしまう映画ははじめてだった。だとしても、少なくとも気持ちが揺れ動くシーンを入れてそのシーンを大切にする必要があると思うのだが、自分の予想通りそんなシーンはゼロであっさり決断後のシーンから物語が再開されていた。まあ、気持ちの揺れを描くのは技術的に難しいからね・・・。
  • 最後のシーンはマジでなんなの?韓国に行ったからどうしたの?マジで何が言いたかったの???全然オチになってなかったんだけど???

という感じである。ツッコミどころ満載なのだが、特にラストシーンの壮絶な訳わからなさはすごかった。夢オチみたいなものと理解すればいいのだろうか・・・。


それにしても、この薄っぺらいリアリティーのない世界は、今現実世界で起こっていることと対照的すぎる。現実世界で起こっていることは、ロシアとアメリカの代理戦争で、国連という幻想を信じて生きさせられてきた日本人の第二の敗戦とも言える状態で、今までの価値観が大きく崩れている真っ只中なのである。だから、この映画で繰り広げられる村上感というか「不幸ごっこ」にはつきあってられるヒマなど一般人はないのである。今は毎日山のように人が死んで、21世紀になのに数百万人の難民が発生している最中である。この空ろな村上感は今の雰囲気には一番マッチしていないタイミングの悪さである*1


そして、これも多くのレビューで言われていることだが、この映画は欧米(笑)で人気のある村上を原作として使い、欧米(笑)での賞をあからさまに狙いに行った作品だと言われている。ただし、上で触れたように、今までの価値観が崩れてきているところで、コロナを含め欧米(笑)なんてすごくもなんともなく、偽善の上に社会がなりたっているというのが公になっているところである。そんな人たちに認められたとしてなんになるのか?というのを考えると、映画自体の狙いがスタート時点から間違っていたようにも思えた。そんなものに意味がないからである。


まあ、だとしても実際には村上のファンの数はすごいし、それだけ空ろな人生を幸せだと思い込みつつ送っている人(こいつらが不幸ぶりたがるわけね)が世の中には多いのだから、この映画はそれなりに評価されるはずである。そんなリアリティのなさというか、空虚な人生を送る人の方がマジョリティであるという現実の救いのなさを改めて強く感じさせられたというのが、個人としてのこの映画の感想である。


最後に、オープニングとエンディングの音楽が関心するほどよかったのである。石橋英子という方の作品らしいが、非常によくできていて驚いたほどである。エンディングのクレジットを見る限り、ジム・オルークなんかも演奏に参加しているらしい。



*2022年03月28日追記:

昨日3月27日に本作品が米アカデミー賞国際長編映画賞を受賞した笑。まあ、他にロクなのがなかったのだろうが、それにしても映画界はマジで終わっている。終わっているのは映画だけじゃなくて音楽など他の芸術もだが。

ちなみに過去の受賞作はこちら↓。

ずっとロクな作品が受賞してないのね・・・。おそらく作品なんでどうでもよくて、「こういう映画を理解できるオレすごくない?」みたいのをアピールしたいだけなんだろうね・・・。すべってるけど・・・。

*2022年04月08日追記:

カンヌを取った「チタン」というのも見てきたが、これは輪をかけてひどかった。才能のないギャスパー・ノエのフォロワーという感じで、映像も脚本も全ての面で彼の作品より劣っており、とにかくどうこう言う前にレベルが低すぎるとしかいいようがなかった。非現実的な暴力を見せればアートになるという監督の目線は下手したら50年ほど時代遅れである。ポリコレに毒されるとなんでも滅んでいくというのを改めて感じさせられただけで、見るのは時間のムダでしかない。

この作品はドライブ・マイ・カーを抑えて受賞したらしいが、これと比べるならドライブ・マイ・カーの方がまだ映画のフォーマットに乗っかっている感じである。チタンは体を成すことすらできていない。感情を揺さぶられることもなく、映像にハッとさせられることもなく、ただただ残酷なシーンが(なぜか前半だけなんだけど)羅列され、物語にすらなっていないストーリーが垂れ流される。これで映画を語ってもらうのは過去の歴史に対する冒涜でしかない。ヨーロッパの衰退はここまで進んでいるのかと、それに衝撃を受けただけであった。日本もひどいが、ヨーロッパもかなりどうしようもなく絶望的なんだなーという感想しか残らなかった。

*1:もっと言うと、某FC2の架純ちゃんを見たばっかりでそのピュアさとリアリティーのすごさに胸をうたれたばかりなんだけど(だからこそなおさらこの映画がアホくさく見えてしまったというか)、誰も知らないだろうからこの注釈欄にメモ