日本代表は負けちゃったけどワールドカップはまだ続いてるんだよねーという話

というわけで、日本代表とワールドカップについてちょっと書いてみるのである。「何を偉そうにド素人ごときの意見ガー」というのは全くもってその通りなのだが、国別代表のサッカーだけは、自分のような海外在住や海外出張が多い人間には他人事ではないのである。日本代表がシケたサッカーをして、クソみたいな負け方をすると、現地でこちらにまでとばっちりがくることが多々あるのである。ブラジル人がある程度どこに行ってもそれなりの扱いをしてもらえるのは、やはりサッカー大国で5回もワールドカップで優勝しているからなのである。サッカーの国別代表というはそういう面では他のスポーツとは違って非常に責任のある立場なのである。




プロローグ


さて、12月5日に2022年カタールワールドカップにて日本代表はクロアチア代表にPK戦でやぶれ、終戦となったのである。いつものごとく、「よくやった!」だの「夢と希望をありがとう!」(これって真剣に考えるとなんか意味おかしくないすか?サッカーに自分の人生重ね合わせてどうすんの?逆に我に返った時に自分のクソな人生がますます浮き彫りになって悲しくなんないの???)だのとバカマスコミはともかく、国民までもが足並みを揃えて同じフレーズを繰り返しているが、実際のところはノックアウト方式のトーナメントの1回戦で負けたわけで、地球目線で見ると日本代表はただの敗北者でしかないのである。まあ、結果にこだわらないところが国民性なのかもしれないが、その割には「ベスト8」とか「新しい景色」みたいなフレーズも踊っていてよくわからない状況になっている。


それはともかく、今回のワールドカップでの日本代表を総括すると、2008年の北京五輪からはじまった、いわゆる「ゆとりジャパン」世代の「俺たちのサッカー」時代がやっと終焉してくれた、というのが一つの見方になるのかと思う。彼らは特に特筆する成績を残したわけでもないのに、常に話題をふりまいて、実力以上のなんかいい感じの集団のように見せるのがうまかった。常にハイテンションの自己啓発セミナーの会員のようなノリで、それに巻き込まれる三流四流インテリをマスコミと一緒になって巻き込んで多数決を作っていたように思える。


彼らの歴史の中で特に最悪だったのは2014年のブラジルワールドカップで「俺たちのサッカー」(そんなの10秒くらい立ち止まって考えたらできるわけないのはわかりそうだけど・・・)を連呼したあげく、「一番弱く、一番つまらないサッカー(ストイコビッチ氏)」を世界にレペゼンし、0勝2敗1引き分けというクソ以外の何者でもない結果で快敗するという結果になった。また、同じゆとりジャパンのメンバーがほぼスライドした2018年のロシアワールドカップでも「俺たちのサッカー」を貫きとおし、やっとのことでたどりついた決勝トーナメントの1回戦のベルギー戦で、残り20分くらいまで2-0でリードしていたのに、そこから3点取られて負けるという、2006年ドイツ大会のジーコジャパンのそれはねーだろという負け方を思い切り再現して、ジャップになんの学習能力もないことを世界にレペゼンしていた。


*ちなみに、筆者は、この一戦のチケットがたまたまあたってしまったため現地でこの試合を観戦していたのだが、ロスタイムに自己啓発セミナーの親玉みたいなやつが、ショートコーナーでちょっとだけ(ほんの数十秒でよかった)コネてからセンタリングをあげればいいものを直接ペナルティ内に打ち込んでしまって高速カウンターをくらって負けるというクルクルパーみたいな負け方をして、現地で唖然としたのだった。多分、あと100年経ってもサッカーの歴史という番組でもっともクルクルパーな負け方をした試合を選ぶとしたらこの試合が取り上げられるのではないだろうか(この件についてはカペッロがボロクソに言ってました、まあ他の人も全員ボロクソでしたが)


こんな自己啓発セミナーの仲良しメンバーみたいのばかりより好んで選んでいたら、上記のベルギー戦のようなクルクルパーな悲劇が起こってしまうのは可能性としては偶然ではないのである。自己啓発セミナーの仲良しグループは自己啓発の手法には熟練しているが、サッカーをよく知っているわけではないのだ。こういう「なぜか代表戦だけでやたら輝く」といった選手の選考を行っていたために、割を食ってしまった選手も多く、例えば、中村憲剛はその実績や能力からいって不思議なほどにワールドカップとは縁がなく、日本代表のゆとり化が本格的になってからはワールドカップに連れて行ってもらうことさえなくなってしまった。また、家長にいたってはキャップ数がたったの「3」であり、近年の川崎の黄金時代とも言える輝きを支えているその実績から考えると、このキャップ数はどうみてもおかしいと言わざるをえない(テストさえされていないわけで)。


代表選手の選考に関しては長年噂されていたのだが、ハリルホジッチ監督が今回のワールドカップでの取材に答えて、「日本では、スポンサーが選手を押し付けてくる。怪我人もいれば、プレーしていない選手もいたので、若手を連れて行こうとした。しかしそれはできなかった。」と、はじめてその内幕を明かしてくれている。



ちなみに、今回決勝トーナメントでスペイン、ポルトガルを立て続けに撃破してアフリカ初のベスト4に昇ってきたモロッコ代表はワールドカップ開催直前までこのハリルホジッチ監督が指揮をとっており、また、今回実力の割にそこそこ輝くことができた日本代表の戦術も、ハリルホジッチ監督が日本代表監督時代に掲げていた「中盤のデュエルで競い勝ち、そこからショートカウンター」という戦術そのものである(これはゆとりジャパンでは某中心選手が鈍足のために結果拒否→監督更迭となったものと思われる、と文章にすると本当だったらすごいことが当時噂されていましたよね・・・)。皮肉なものである。


ここまででは、このゆとりジャパンという自己啓発的なポジティブ思考で中身空っぽ(特に、サッカーに必要とされる「マリーシア=したたさ」がない、また、ポジティブポジティブ言ってるやつは老練な相手から見ると単細胞に見えて与し易いのである、ポジティブ連呼バカしかいない日本国内と違って世界はしたたかで老練で、相手の弱点を確実についてくるという習慣がサッカーだけでなく日常生活にも伴っているのである)という構造的な問題を述べてきたが、ここからはもう少しサッカーの中身の部分について長年積み重なってきた問題点をブレイクダウンしてみよう。



GKの脆弱さ


これは、なんといってもゆとりジャパンというよりは歴代の日本代表の最大の弱点であるのに、不自然なほどに語られないポイントなのである。


ちなみに、前述したジーコジャパン時代に2点先取してそこから3点取られたという惨劇のきっかけを作ってしまった後半38分の1点目の失点もキーパーが調子こいて前に出すぎたというミスで、これは当時海外にいた筆者が住んでいた国では酷評されまくっていた。このキーパーは背も低く、そもそも海外レベルでは通用するスペックではないというのも、海外の常識だったらしく、オーストラリアは当たり前だがその弱点や癖をついてきて(当時の監督は韓国代表を2年間見た後のヒディング)、見事に日本はやられたのである。このキーパーは失点前にも、バックパスの時にディフェンダーとゴールのラインから外れて立ち位置をとるという基本動作を守らず、バックパスがイレギュラーしてあわやゴールというシーンも演出していた(ベンゲル監督が酷評していましたね)。彼は代表キャリアの最後まで必要以上にぴょんぴょん飛び出してしまうという悪癖を修正することができず、肝心な時に無惨なゴールを食らうという惨劇を繰り返していた(そしてなんでか日本国内では誰も何も言わなかった、海外移籍した某クラブではそのパフォーマンスが早々に見限られマスコミからもサポーターからも袋叩き)。


で、肝心のゆとりジャパン時代のGKなのだが、これは生物としてミジンコ以下の価値しかない筆者よりも磐田でGKをしていた某国の選手の奥さんのツイートを見て頂いた方がよいだろう。



つまり、あなたがどう思っているのかは知らないが世界はそう見ているということなのである。言うまでもないが彼女はプロGKの奥さんであってプロの選手ではない。欧州では一般人が見ても、日本のGKはあまりにナイーブなのである。例え、該当の選手が日本一のGKだったとしても、世界はミスだらけの弱いGKだと見ているということである。GKでそそっかしいというのは絶対にあってはいけない属性である。このGKの他の試合でも中途半端なパンチングからの失点や、日本伝統のどう考えても無理な飛び出し、そして、何度も余裕でニアをぶち抜かれるなど、「ちょっとこれでは・・・」と思わされるシーンを何度も見せられてきたのである。言うまでもないが、サッカーというのは「ボールをゴールに入れた回数が多い方が勝ち」というルールのゲームである。だから、GKの基本能力というのは問われて当たり前だし、特に生きるか死ぬかが全て(よくやった!とか夢と希望をありがとう!は世界ではあまり意味をなさない)のワールドカップではボールをゴールに入れさせない能力が重要なのである。


今回も日本はまずこの弱点をつかれたのである。2敗のうち、コスタリカ戦は明らかにセービングのミスで決勝点を入れられており、クロアチア戦はGKがナイーブなのを相手は最初から見越して、試合の途中でPK戦狙いに切り替えていた(ついでに適当にやってても点をまず入れられることがない=点取ることができる真のFWもいない、のも見切られていましたが)。どちらも、弱点をつかれて必然的に敗北したのである。


今回も日本国内でマスコミはともかく(彼らは儲かればなんでもいいわけで)、サッカージャーナリストや一般人のサッカーオタクからもこういう声は上がっておらず、この問題はかれこれ30年近く放置されているのである。


まずはここをなんとしてでもなんとかしないといけないのである。最低でもまずはなんとかしないといけないという、執念や情念が必要である。国を上げて解決しないと、悲惨な歴史が繰り返されるのは過去の日本代表のデータが実証しているのである。


とはいえ、日本にとって幸いなのは次期ジャパンの正GKになるであろう選手は過去の代表と比較して大幅にマシになっているということである。身長も2mくらいあるし、ボールに対する反応も悪くない。だったら、このお方を使っておけばと思うのだが、そんな声はサッカージャーナリストやサッカーオタクから強くあがることはなかったのである。この選択だけでも、今回の監督は名将にはなりえないというのが筆者の見解である(せめて、コスタリカ戦はGK変えてほしかった)。




センターバックの脆弱さ


これもGK問題同様日本が長らく抱えている未解決の問題である。Jリーグに強力なFWがいないという土壌が根源的な原因なのかもしれないが、遡れば、自分が見た中で普通に通用しているなーと思ったセンターバックは板倉滉と冨安が出てくるまでは柱谷井原のコンビまで遡る(まあ、女子も入れれば熊谷岩清水という日本サッカー史における金字塔のようなコンビがいますが)。その後は、でかいだけで鈍足のコンビが長年レギュラーをはり(当ったり前ですがひたすら裏を取られまくりましたね・・・、あと片方はシュートモーション入れるだけで大げさに体を反らすというDFとしての本能と逆の癖が→以降、JのDFの多くが反射的に真似するように→自分の某国人の友人はその反らしを見てあれがお前のところの代表なの?マジ?って言ってくる→で、オレなら全部シュートモーション入れるフリしてドリで抜くよって言われる・・・→某国の一般人のレベル・・・)、ゆとりジャパンの時代は状況判断という概念が頭にないのか開始5分とラスト20分を同じ強度でプレーしてしまうやらかしが悪癖のセンターバックがチームの中心となってそそっかしいGKとのコンビで致命的なやらかしを度々披露してくれたのである。ちなみに、今回のコスタリカ戦の決勝点は正にそのセンターバックのやらかしとGKの状況判断の悪さと背の低さという日本の弱点が全て集約されたゴールである(だからこれがどんなに致命的なのか、ということである)。


ここでしっかりと強調しておきたいが、だからといって個人攻撃をしても何も意味がないのである。それはネットで匿名のジャップがやることである。そうではなく、ちゃんと弱点を分析して国としてというかJFAとしてというか対策を取らないといけないという話をしているのである。また、選手がやらかしたとしても、責任は100%選考した側にある。日本の場合、アホマスコミが何かを評価分析できるわけではないのはしょうがないとして、サッカージャーナリストやサッカーオタクも機能していないのである(日本の場合、自分が平凡でそうじゃないからかなんか不明だが、一般人はこういう時に必要以上にエキセントリックで自分勝手に組織をかき回すタイプの人間を好む傾向があったりする)。だとしたら、JFAがなんとかするしかないというのが現状である。DFにめぼしい人材ないないのであれば、過去にいた名DFのようにFWからのコンバート(井原も松田もそうですよね)をJFA主導でやったりすることが重要なのかもしれない。


ただし、GK問題と違ってセンターバックに関してはある程度頭数が揃ってきたかなという感じで、そんなに必死になって心配する必要ないのかも?というのが現状かもしれない。個人的には今回の代表のMVPは前田なのだが(なんだかんだであのサイコプレスによってドイツもスペインも後半足が止まりましたよね笑笑、どうせ誰出したってシュートが枠になんかいかないんだから、今回はあれで正解)、板倉滉でも全然okというくらい彼の働きはすごかった。そして、クロアチア戦の彼の不在は本当に痛かった。彼は背も高いし足も速いので冨安(いつも肝心な時に壊れるけど、ドイツ戦はこの人が途中で入ってくれたから逃げ切れたような)とのコンビが安定すればしばらくはしょっぱい守備でイライラさせられることもなくなるのではないだろうか。ゆとりジャパンからの脱却として日本代表が一番世界に向けてレペゼンしたいのがこの新しいセンターバックのコンビである。


*またまた余談であるが、完全にバックアップメンバーと思っていた川崎の谷口の獅子奮迅の活躍にも非常に驚かされたし、彼も普通にスペインに通用しまくっていた。だからこそ、なおさらあのコスタリカ戦のサラミのような守備が悔やまれるのである。なぜあの時間帯で、あの場所で、あんな気の抜けたコーラのような守備ができてしまうのか・・・、どういう理屈に基づいてあのクリアになってしまうのか・・・、しかも今回がはじめてではなく、今まで何度もやらかしてきたその経験も生かされないものなのか・・・、遡って最初からメインを谷口にしてもよかったんじゃないかと・・・、これこそ典型的な結果論ですけど・・・




カップ戦(特に天皇杯)の軽視


これも筆者に情報がなくミジンコ以下の分際で憶測で書くのだが、筆者が子供の頃と比べると天皇杯の権威は明らかに低くなっており、これが肝心な時のPKの経験値の不足に響いているのではないだろうか。昔は天皇杯といえば名前の通りそれなりに神聖かつ特別な存在でJリーグのリーグ戦とまた違った名誉があったものだった。特にサッカー選手は元旦にサッカーができるということを非常にありがたく思っているというインタビューをよくきいたものである。また、筆者のようなお正月期間のテレビの特番になんの興味もないような視聴者にとって、天皇杯はお正月に唯一楽しみに拝聴することができた番組であった。もちろん様々な理由があるのはきいてはいるが、根本的にはマスコミが嫌う要素が詰まっている大会自体が徐々に権威を落としていったという体感がある。これとルヴァンカップ(旧ナビスコカップ)あたりを改革して、もうちょっと勝つことに意味のあるカップ戦(少なくともPK戦の時に足が震えるくらいの雰囲気になる大会)にした方がいいと思われる。


今回のPK戦でのキッカー陣は明らかに場慣れしておらず、体が固いままボールを蹴ってしまったため、非常に威力の弱いキックになってしまっていた。ここらへんも、「よくやった!」「惜しかった!」で済ませないで、ちゃんと対策をとるべきだ。対策をとらないから同じことを繰り返すのである。




なでしこジャパンの軽視


最後に、筆者が今回一番驚かされたのは毎度のことではあるのだが、今回もなでしこジャパンの軽視である。特に今回のワールドカップは欧州が有利なこの手のスポーツ大会と違い、非常に合理的かつクリーンな体感運営がなされており、審判団が全員女性という試合もあった。


そんな状況と比較して、気になったのは大手マスコミの相変わらずのなでしこジャパン軽視である。彼女らはなんといっても過去にワールドカップで優勝しているのである。しかも決勝戦、かつ、決勝戦でのPK戦を経験しているメンバーがいるのにそのメンバーを呼んで解説させないのは不思議というよりは気が狂っているレベルだと感じた。


そして、旧態依然とした番組作りはなんの特徴もなく、今回はネット配信がメインであったにも関わらず、相変わらずクソみたいなテーマ曲がクソみたいに何回も何回も繰り返し流され(誰もうんざりしないんですかね?)、クソみたいなお笑い芸人がクソみたいなコメントをする(誰もうんざりしないんですかね?)、という、もはや狂気とも言える内容が今回も続けられたのである。若い世代の子たちも、こんなクソみたいな作りの番組に不満を思ったり、不思議を感じたりしないのだろうか?この点に関してはもういい加減あきらめろよ、というのが大方のご意見なのかもしれないが、筆者は毎度のことながらうんざりしたのである。



エピローグ


大会の総括はまだ大会自体が終わっていないからやりようがないのだが、今回の大会で間違いなく評価できるのはVARを積極的に導入して、いわゆる南米的なマリーシア(ずる賢さ)をほぼ完璧に封じたことである。南米系のチームが苦戦しているのはこのためである。しっかりとビデオ判定をどのプレーでも行うようになったため、(1)接触プレーで大げさに痛がって転げ回っても、どちらが悪いかがはっきり判定されるようになった、(2)(1)によって転げ回ったり、不必要に揉めている時間が全てアディショナルタイムとして加算されるようになったため、南米的なセコい時間稼ぎができなくなった、あたりが画期的な改善点である。日本はそもそも国民性としてこういったマリーシアを苦手としていたため、この改革は結果的に日本にとってはかなり有利なルール変更となった。また、南米勢vs欧州勢でもこの変更は欧州勢に有利に働いたのである。


そもそも、ネイマールに代表されるようになんでもかんでも痛がって転げ回ってマイボールにするような態度はスポーツとしても人生の生き方としても、人の親ならば自分の子供には見習ってほしいとは思わないのが普通の感覚だろう。ネットで世界中の人が見る時代におけるワールドカップなのだから、何が正解かを試合を見る子どもたちに知らしめるためにも、この改革は本当に革命的で素晴らしいものだった。FIFAは色々問題がある組織なのだろうが、今回の大会運営に関しては何一つケチをつけるところがないし、できれば永久に毎回カタールで開催してもいいのではないかというくらいクリーンな大会であることを印象づけることができていると思う。


そんなわけで、コロ助のせいでロクな事がなかった昨今で今回のワールドカップはゆとりジャパンに期待してない筆者のような人間でもめちゃくちゃに楽しめている大会なのである。おかげでこれで自分の中でのコロ助騒ぎも終わったような気にまでさせてくれたのである。移動も含めて世界はこれからじゃんじゃん動きはじめますよ、と地球に話しかけられたような気がしているのである。あとは、もう少し日本が強くなって、欧州勢をおおっと思わせるような試合をするようになり、筆者が滞在先の飲み屋で終わってる酔っ払いにからかわれるのではなくて、ちょっとだけ尊敬されるようになると、非常に助かるのである。ゆとりジャパン期をやっと脱することができ、新しい若者たちが新しいジャパンを作っていってくれるのだろうが、世界のサッカーはもっと加速度を増して進化していくのだろうと思う。だから自分もちょっと動機は不順ではあるが、新しいジャパンに期待してその進化に取り残されないようにと応援するのである。


*2022年12月15日追記:

アルゼンチンvsオランダ戦でのアルゼンチン選手の振る舞いがよくない、という日本人が多くてびっくりしています。本章でも述べましたが、今行われていることは世界最大、しかも4年に1回のスポーツの大会で、負けたら終わりのトーナメント戦です。勝てばヒーロー、負ければ惨めな敗北者でしかありません。だからこそ、いい年をした大人があんなに熱くなっているわけです。そこが理解できない日本人が多いことに驚かされました。世界で戦うということをわかってないようです。また、そもそも試合前も試合中(PK戦中)も挑発を続けたのはオランダ側です。そこもわかってない人が多いようです(これも現代ではただの情報弱者=敗北者でしかありません)。

アルゼンチン人と話すと、日本人が思っているよりサッカーを1対1の戦い(正にデュエルの意味ですね)ととらえており驚かされます。サッカー感の違いといったところなのでしょうが、ベスト16で敗退した日本の場合、「よくやった」「夢と希望をありがとう」というお仕着せの言葉が飛び交い、監督の続投も有力になっているなど、人生観の違いと言っていいレベルのギャップがあるように思えます。勝利を国民全員が望むような状況がない限り、いつまで経っても日本代表が強くなることはなさそうですね・・・(勝利を求めないのであればいったい何を求めているのでしょうか?感動???)。

*2022年12月19日追記:

W杯はアルゼンチンの優勝で終わりました。残り10分から2点取り、延長戦でも1点取って追いついたフランスは強かったのですが、中身はアフリカ代表以外の何物でもなく、忌まわしい植民地政策をサッカーに持ち込んでいるようで気持ちが悪いだけでした。自分はカンテの大ファンなのですが、今回は彼の欠場が痛く、彼がいれば前回同様余裕で優勝していたでしょう。采配でも交代が極めて遅かったアルゼンチンとは対象的に、ジルーはともかくグリーズマンまで平気で替えてしまうデシャン監督の采配が光っていました。今大会、一番輝いていた選手を交代して中盤を省略したらフランスは急に本来の攻撃性を取り戻しました。

そんな最強のフランスをメッシの個人技が粉砕した感が強い決勝戦でした。たった1回のチャンスを決めて勝つということを彼は今までのキャリアでもやってきたわけで、今回初めてメッシをちゃんと見た人にはわからないでしょうが(守備しない&走らないおじさんにしか見えなかったのでは?)、この決勝戦でもメッシは自分のサッカー哲学をうまく表現していたように思います。

さて、日本代表はどうなっていくのでしょうか?正直、楽観的な未来は全く見えません。今後もよくてベスト16というのがしばらくは続いていくのではないでしょうか。慢性的なストライカー不在、強度が高くかつ俊足を揃えたバックライン、異常なキープ力のあるボランチ、どれも未だに見当たりません(若い世代にも見当たらないところが絶望的かと)。また、今回のモロッコ代表に象徴されるように辺境国の強さも目立つようになってきました。サッカー大国の進化のスピードとこういった辺境国の進化のスピードに、組織としての決断力や判断力が致命的に遅い日本は取り残されていくのではないでしょうか。

そんなことを考えたW杯でした。大会としては個人的には過去最高の組織運営だったと思いますし、VARで変にコロコロ転がるサッカーの一番クソな部分を封じた対策も見事でした。そんなVARがあるにも関わらず勇気を持って、危険なタックルや演技寸前のコロコロを繰り出しまくって優勝したアルゼンチンは見事でした。勝てばなんだっていいのです。

また、対照的にブラジル代表のクソさも印象に残りました。オリンピックを期に経済的に豊かになり、もはや自分のプレーで家族を養うといったハングリーな精神など生まれつき持っていない世代が中心となり、「別に勝っても負けてもどうでもいいやオレもう金持ちだし」という感じのノリはかつての芸術的かつ強かったブラジル代表の姿とはあまりに違っていて、そういう意味で印象に残りました。そんな部分を比較してもアルゼンチン代表は本当によく最後まで戦ったと思います。