2020年にデジタル庁がやったこと

昨年の暮れに○○元初代デジタル庁大臣が亡くなった。彼は生前に回想録を書き残しており、死後に出版するように遺言を残していた。先月、その回想録が出版され、大きな話題となっている。近代日本史を振り返ってみると、2020年にデジタル庁が創設され、それに伴い行われた様々な制度改革がその後の日本に与えた影響は計り知れないほど大きかった。


デジタル庁はパンケーキ首相の発案により、他国より遅れていたデジタル化を促進するために、2020年に創設された。任命された○○大臣は、毛深くずんぐりとした体型だったので、クマー大臣と呼ばれた。クマー大臣はデジタル化というキーワードを元に、様々な規制や古い慣習をデジタルという言葉でくるむようにして本当の狙いをわざとぼやかし、ひっそりと、でも、素早く改革していった*1




まず、クマー大臣は「全ての政治は未来の子供たちのためにある」という彼の基本となる政治信条に基づいて、なによりも先に教育現場に手を入れることにした。具体的には、まず試行的取組として中学1年生全員にMacBookを配ったのだった。このMacBookは教育用にカスタマイズされていたのだが、液晶を超高解像度のモノクロ液晶にしたのが秀逸なアイデアだった。これによって、(1)市場への転売価値をなくし、余計な流出などが出ないようにした、(2)ポルノサイトなどを楽しみづらくした(笑)、(3)長時間使用した場合の目の負担を圧倒的に少なくした等、従来の日本人が考えるような出来の悪い日本製の終わってるソフトウェアで縛ろうとせずにハードウェア側で対策を行ったラップトップPCを配布したのだった。また、キーボードは英語配列になっており、JIS配列を教育現場から廃止した。これは、「グローバル化する世界の中で、子どもたちが世界に出ていった時のことを想定して、今から英語配列で教育を行った方が、余計な苦労をせずに済むだろう」という理由からだった。また、「MacBookに慣れてしまうと、Windowsを使えなくなるのではないか」というありがちななんでも反対するのが大好きな左派メディアの攻撃に対して、最初から対策を打っていた。MicrosoftのAzure上のVPCをそういった浅はかな批判が出る前に全生徒に割り当てていたのである。もちろん、O365のアカウントも付属させており、エクセルなどのソフトは基本Azure上のWIndows VPCで使わせるように教育現場に指示したため、生徒は解像度の高いRetinaディスプレイMacBookを母艦として、Windows VPCMS Officeを使って宿題をやるというカリキュラムに則って教育を受けたのである。IT業界のエキスパートたちを唸らせたのは、Azure上でのCPUやストレージの選択を完全に生徒の自由にしたので、子供たちが金額的な制限を受けることなく、やりたいことができる場所が提供されていたことだった。これによって、ある学生は128CPUのインスタンスを使用した将棋解析サイトを作って一般に開放した。彼は同時に全てをマルチリンガル化して、あらゆる言語でコミュニケーションを取ることができるようにしたので、このサイトの誕生後、将棋の競技人口は50倍に増えて、今は世界中で最高の頭脳スポーツとして楽しまれている。またある学生は、ストレージを無限大に利用できることに着目して、スマホ上のありとあらゆるデータを自動でバックアップし、AIが整理してくれるサイトを作って公開した。これは、GAFAスマホメーカーのようなユーザーのプライバシーを除く仕組みを完全に廃したのが評価されて(しかもオープンソース)、日本だけではあるが、データストレージのデファクトスタンダードになっている。等々、余計な制限を撤廃することによって、学生の自由で柔軟な発想を大切にするように配慮した。


クマー大臣の教育現場への改革はこれだけに終わらず、IT関連の授業は完全にオンラインで行うこととした。その代わり世界中のエキスパートに講師役を依頼して、日本語字幕をつけた動画をYouTube上に公開した。一番人気だったのはメンフィスにいる「パイソン先生」によるPythonの授業で、わかりやすく、かつ、親しみやすい愛情に溢れた授業は今でも伝説になっている。今の日本に優秀なPythonプログラマーが多いのは、全てこの先生のおかげである。


また、クマー大臣もYouTubeを使い、いかにプログラミングが手に職として優れているかを直接生徒たちに訴えた。プログラマーという職業は(1)場所を選ばずどこでも行うことができ、(2)そんなに体力を使うこともなく、(3)長く続けることのできる、職業だと繰り返し何度も訴えたのである。特に、女性にとってこれは選択肢の一つとして非常に優れた職業だということを自分の声で自ら伝えたことは、その後の日本のプログラマー人口の増加の大きな要因として、今でも高く評価されている。


このYouTubeを使ったITの授業はテストをオンラインで行うことができるので、テストの準備も簡単で、完全にペーパーレスで可能、テストを監督する教官なども必要ない、といいことづくめだった。また、授業のフィードバックはAzure内に設置されたSNSポータルで直接文科省から出向しているデジタル庁の担当者に伝えることができるので、以前と比べると格段にリニアな対応が可能になった。もちろん、講師役の先生にもポータルで直接質問することができるので、生徒にとってはこれ以上ないくらいの整った環境であった。多くの生徒は世界中から集められた先生たちに質問を重ねるうちにたいていのコミュニケーションを英語で行えるようになった。


最初はクマー大臣は日本で遅れているソフトウェア産業をテコいれするのが主目的でこういった仕組みを構築していったのだが、やはり生徒たちからはもうちょっとデザインよりの授業も増やしてほしいという要望があがってきたので、柔軟に対応した。講師には頼み込んでスーザン・ケアを連れてきた。やはり、プロ中のプロというのは教えるのがうまく、また、女性の生徒に人気がある授業で、現在はこの分野(ロゴデザインやアイコンデザイン)のレベルも日本はアメリカに匹敵するレベルになっている。


同様に、生徒からの要望を受けて、簿記の授業も中学1年生から受講できるようにした。中学3年間、しっかりと最高の先生にオンライン授業で鍛えられたこともあり、その後、最初の世代が高校生の時にアルバイトとして企業の経理で働くのがブームになった。彼ら/彼女らは、ITのリテラシーも高かったので、デジタル化が遅れていた大企業に非常に重宝されたのだった。多くの生徒はそのまま大学卒業までアルバイトを続けて、そのままアルバイト先に就職したのだが、入社時に既に7年のキャリアを積んでいるので、即戦力というよりは辞められたら困るという存在で社会人生活をはじめることができた。


また、このMacBookを配る政策と同時に、この学年の子供たちには給付金という形で毎月1,000円がマイナンバーに紐付けられた証券口座に振り込まれるようになった。これもクマー大臣の秀逸なアイデアによってなのだが、選択できる投信がS&P500に連動する商品か、後述するインペリ指数というものに連動する商品しか選べることができないようになっていたので、「投資は貯金よりよほどマシ」という認識を生徒が実感できる仕組みになっていた。現在では、この世代より下の世代で銀行に貯金としてキャッシュを置いておく人の割合は5%を切っているそうだ。


上でもちょっと触れたが、もちろんここまで出てきたMacBookやAzure、証券口座のアカウントは全て学生のマイナンバーに紐付けられており、マイナンバーカードは顔写真入りかつICカード入りかつ指紋情報も埋め込まれているので、その後、全ての認証に使われることになった。これによって世界中の国の中で日本だけが唯一、IT業界が長年悩ませられてきたログインIDとパスワードの仕組みを捨てることができたのである。カードリーダーにマイナンバーカードをかざして、その後、指紋リーダーに指紋を通す二重認証の仕組みは、今でも使われているスタンダードな方式である。これもまた、当時は左派メディアがありがちに「個人情報に対するセキュリティが万全ではない」とキャンキャン噛み付いたのだが、クマー大臣はFeliCaガラパゴス規格であるのを逆用して海外で悪用されようがない仕組みを最初から考えていたのだった。だから、生徒たちは学生生活のほとんど全てのことをマイナンバー件ICカード件クレジットカード一枚で送ることができたのだった。言うまでもないが、免許証は存在そのものがなくなりマイナンバーカードに代替された。


ちなみに、デジタル庁が配ったこの特別仕様のMacBookはクマー大臣の政策の成果が大きく出はじめたのと共に、世界中の教育現場に広まっていった。また、日本の場合はMacBook+Azureの環境を教育現場だけでなく、ほとんどの企業が採用するという現象も起きた。これは、マイナンバーカードをうまく使ったセキュリティを確保する仕組みが秀逸だったのが大きかったようだ。




次に、クマー大臣は金融庁と連動して、株式市場の再整理を行った。具体的にはGAFA等の生活インフラとも言える世界中の優良なIT企業を100社ほど日本の株式市場にセカンダリ上場させたのである。また、これに伴いソニー任天堂等、世界的かつハイテク技術を有している企業を東証から離脱させ、GAFA等がセカンダリ上場した市場(通称クマダック)に再上場させた。このクマダックの平均株価指数(通称クマ平均、もしくは、インペリアル指数)に連動した投信は安定した投資先として大人気になり、貯金が当たり前だった国民性をガラッと変えてしまった。特にその中でも、天皇家(設立時は皇后様がご担当)がアドバイザーとして参加した通称「インペリアルファンド」は極めて透明性の高い運用が行われているファンドとして設立され、前述した学生に配られた積立金やGPIFの資金運用用投信として利用され、その後、その透明性を好む国民性に支持され日本最大の投資先になった。ここまで30年ほどの実績を見ると、運用利回りは年平均約5%なので、福利を考えるとこのインペリアルファンドに25歳くらいから参加できた国民は老後の心配をする必要が全くなくなり、微々たる年金額を心配するどころか、贅沢にお金を使うことができる老後を送ることができるようになった。




メディアの対応にしても、クマー大臣は新しいアプローチを見せた初めての大臣だった。彼は全てのメディアの取材を受けつけず、その代わりに週に何度もYouTubeで国民に向けて各課題の説明や進捗度合いを担当の官僚と一緒に逐次報告したのだ。このやり方は最初はメディアの集中砲火を浴びたが(当たり前だが・・・)、そのうち国民には余計なバイアスがかかっておらずわかりやすいと評価された。大臣の唯一の懸念点は、このやり方だと老人を置いてけぼりにしないかというところにあったのだが、これは国民側が視聴者としてNHKに強く働きかけて、朝晩教育テレビ枠を使って放送されることになった。もちろん、NHKは大臣就任の半年後には出来の悪い専用アプリを廃止して、全てのチャンネルを単にYouTubeに垂れ流すようにしたので、ありとあやゆる国民がオンデマンド方式でデジタル庁の動きを確認できるようになった。ちなみに、YouTubeに垂れ流すことにし、同時にBSの衛星経由の放送を廃止したので、結果NHKの設備費が大幅に浮き、受信料を引き下げることができたという別の成果も出た。




他には、このクマー大臣の今でも語られるユニークなエピソードとしては、彼は周りや時代のノリ、海外からの同調圧力に流されず、ハンコを廃止するどころか、それまでもをデジタル化してマイナンバーに紐付けたのである。マイナンバーカード経由でハンコとマイナンバーと指紋が結びつけられたので、物理ハンコをなくした代わりにどこでもハンコを(指紋をプロキシーとして)使えるようにしたのである。確かに、漢字の場合はサインよりも赤い文字のハンコの方が読みやすいというのはあり、クマー大臣はこの利点を大事にした。笑ったのはこれも左派メディアに徹底的に叩かれたのだが、珍しく記者会見を開き「杉原千畝がもしハンコで仕事ができていたのなら、もっと多くのユダヤ人が助かっていた」と言ってこの論争を終わらせたことである。これ以降は、クマー大臣を散々叩いていた海外のメディアも手のひらを返し、彼の政策に好意的な記事を書くようになった*2。この完全にデジタル化されたハンコは非常に人気があり、サインよりも優秀だということで*3、アジアを中心とした他国にも利用が広まってきている。




さらに、クマー大臣は外国人の入国管理も完全にデジタル化を行った。外国人観光客は入国時にビザの代わりに事前に作成したマイナンバーカードを使い、入国審査を通ったので、格段に審査が正確かつ早くなった。観光客はこのカードがあれば、全ての公共交通機関を無料で使うことができ、金額に上限はあるのだが、自国で作成したクレジットカードを結びつけることも可能なので、日本での移動や買い物が格段に楽かつ便利になった。


だが、これはクマー大臣にとっては助走みたいなもので、彼は長年温めていた恐ろしいアイデアを実行に移した。まずは、東欧諸国に目をつけ、各国の優れたITエンジニアを「テックジニアス」として日本に招聘したのである。給与と住居は国が保証し、希望すれば、数年後に簡単な審査を行うだけで永住権を取得できるようにした。実際に、母国にいる家族等に特別な事情がない限り、ほぼ100%の人が永住を希望した。テックジニアスたちは、もともと実績のある極めて優れた人たちばかりだったので、受け入れた企業や学術機関では中心的な働きをし、その後の各組織の発展に大きな寄与をしてくれた。


そして、テックジニアスを大成功させたクマー大臣は最後の仕事として、戦後ずっと領土の問題を抱えていた某国(東欧国の親玉)にもこの制度を適用し、年間数十万人の移民を受け入れたのである。だがしかし、ビザが配給されたのは明らかに故意に選別された学歴のある若い美男美女なのであった。彼ら/彼女らは日本の永住権を取得する前に、ほとんどが日本国籍所有者と結婚し、日本人としての子供を産んで、日本の出生率を大幅に底上げしてくれたのだった。途中で某国はクマー大臣の本当の狙いに気づき日本との相互ビザ緩和を廃止したのだが、クマー大臣は先に日本に定住した方たちに十分な給与と広い家を提供していたので、その情報をきいた某国の若者たちは第三国を経由してでも、日本に入国して移住することを希望したのだった。あまりに、日本が若い某国の人を引き抜きすぎたので、某国は完全に音を上げて、数十年不法占拠した島を全て返還することにして手打ちを求めてきたのだった。もちろん、日本は喜んでこの提案に乗り、島を返還してもらったが、人は勝手に入国してくるので止められず現在も大量の移民が続いている。今回、回想録により、初めて明らかにされたのだが、クマー大臣の狙いは領土問題の解決と少子化の解決をデジタル庁を隠れ蓑にして行うことだったのだ。




クマー大臣は約5年をデジタル庁大臣として努め、その後また5年をアドバイザーとして努めた後、表舞台から姿を消し、郷里に帰りひっそりと目立たない人生を送ったようだ。回想録によると、前述の「全ての政治は未来の子供のために」という政治信条を基に、時には強引とも思える改革を推し進めるのは心情的にとてもつらいものがあったようだが(実際、銀行や証券会社はこのデジタル庁の政策によって壊滅的な打撃を受けた)、誰かがやらなければこの国は滅びるとの思いから、強い意志を持って緩むことなく改革を実行し続けたとのことである。また、「日本人はなぜか改革を実行する直前まではありとあらゆる抵抗をするが、一度実行されてしまえば、今までの抵抗がなかったのではないかというくらい、誰も何も言わなくなる。私はその性質をよく理解して、議論や抵抗が深まる前に改革案を通してしまうことを重視した。これが効果的な改革を多数行うことができた原因だろう。」と述べていた。


その後、デジタル庁によるIT教育を受けた世代は「パンケーキ世代」と呼ばれ、国際的に活躍する人材も多く、日本の最大の問題であったソフトウェア産業の弱さの改善にも大きく寄与した。彼らはインペリアルファンドへの継続的な投資によって生活資金や老後資金にも全く不安がなく、日本では不可能と言われていた「サラリーマンや公務員にならなくても安定した生活を送ることができる」という、新しいライフスタイルを提示してくれた。彼らの世代が多産なおかげで、やっと日本の出生率も増加に転じ、50年後のGDP予想も世界3位の座を保持できる見込みである。言うまでもないが、クマー大臣の政策ほど女性の活躍を考えた政策はなく、特にプログラマーのようなハードな体力を使わなくてもよい分野では女性の進出が顕著なため、女性全体の平均賃金が大幅に上がり、政府の税収も大幅に増えることになった。


これらは全て2020年にデジタル庁が設立されたことによって日本に起こった変化とその結果である。クマー大臣は古い慣習をデジタル化する際にどうしても全体の透明性、視覚化(見える化)が必要なことを相当早い時期から見抜いていたようだ。そして、そこから逆算され実行された各改革は今も不正や悪用に対して強いので、古びたり朽ちることなく、現代日本に欠かせない制度となって生きている。

*1:政治にはじめてオブジェクト指向の考えを導入したことでも知られている

*2:ユダヤ人のネットワークのすごさというのはこういうところにある

*3:特にスペースを食わないのがエコでいいらしいし、中国の上流階級では、日本で書体を作ってもらうのがブームになった