松本人志様がこんなことをおっしゃっているのである。
あらためて https://t.co/AJKUg3zzad
— 松本人志 (@matsu_bouzu) May 24, 2020
そしてネット界隈では「さすが松ちゃん!」とこの発言が絶賛され、ネットでの匿名性に制約を与える風潮まで生まれてきつつある。しかし、これはちょっと違うのである。
このお方が、人気絶頂期→丸刈り期→マッチョ期と変態を繰り返しつつ徐々に劣化してきたことは別として、インターネットの匿名性に牙を向くのは違うというか自分に対して都合が良すぎるのである*1。というのも、匿名性こそインターネットの最大の長所であるからだ。
インターネットが世界の仕組みを変えたその革命性には、大きく以下の特徴がある、
・即時性
・省コスト性
そして、
・匿名性
である。
即時性については、言うまでもないだろう。例えば、電子メール以前には、人は手紙で文章のやり取りを行っていたのである。海外宛はエアメールとかそんなので、そもそも、着いたかどうかもわからなかったし、少なくとも1ヶ月くらいは返事が帰ってくるのを待っていたのだった。それが、電子メールだと1分もかからないうちに世界中どこでもメールを送ることができるようになった。今はスマホとメッセンジャーアプリもあるので、もっと簡単にパソコンの前に座る必要もなくコミュニケーションを取ることができるようになっている。これによって、人々は大幅に人生の大切な時間を節約できるようになったのだ。
また、その即時性により、あらゆるコストが劇的に下がった。電話での通話(得に国際電話)が一番大きかったと思うのだが、何万円が突然ゼロ円になったのである。通信販売とネットショッピングを比較すると、比較するのもバカらしくなるくらい、ネットショッピングは簡単ですべてのプロセスで時間がかからず、世界中から少ないコストで物を買うことが可能になった。この省コスト性も、人々ができることの範囲を格段に広げてくれたのである。
そして、一番革命的だったのが匿名性である。インターネットによって人々は誰でも平等に情報を発信する権利を得て、しかもそれを匿名で発信することが可能になったのである。これがどれほど人の歴史において大きいことなのか、どれほどのパラダイムシフトなのかを考えてみよう。
まず、匿名とはどういうことか。一般社会でもそうだが、インターネットの世界で匿名の反対語は「権威」と言うことができるだろう。例えば、インターネット以前は、そもそも一般市民が情報を発信することなど不可能だった。情報は、テレビや本や雑誌といったある程度限られた特権を持った権威から一方的に発信されるのが当たり前で、普通の人はそれを受け身の形で手に入れていたのである。その構造がインターネットによって完全に崩されてしまったのだ。人々は最初はお手製のホームページで、その後、ブログ、さらにSNSへとプラットフォームを移しながら自分の考えや見方、情報を発信できるようになったのである。これによって、例えば音楽評論家、映画評論家のような職業の価値がなくなり、スポンサーの影響が皆無なお客さん目線の生の情報を素早く手に入れることができるようになった。
ここで最初の松本人志の発言に戻ると、こういうインターネット後の世界が彼のような権威を持っている人間にいかに都合が悪いかがわかるだろうか。テレビや新聞の中で権威によってビジネスを行っている人たちとインターネットの相性は最悪なのである。松本人志はテレビの中で、実名で笑いを飛ばしているからウケるのであって、名前を隠して匿名でツイッターでなにかをつぶやいたとしても誰も気に留めないのを自分でよくわかっているのだ。
繰り返すが、インターネットはその匿名性により、ほとんど全ての権威側が持っていた利権を全ての人々に開放したのである。そしてそれにより、ありとあらゆる人が自分が考えていることを自由に世の中に発信できるようになった。そして、それは言葉通り本当に「全ての人」であるのだ。あなたが、たとえ何人だろうと、たとえ障害があろうと、そういうステータスは関係ないし、誰も気にしようがない。インターネットの匿名性はそんな思考を狂わせる個人の属性を削ぎ落として、権威のないピュアな情報をみんなの目の前に届けてくれるのだ。そのパンクぶりはとても貴重で、権威に対するカウンターとして人類の歴史上最も有効なメディアなのである。インターネットは右とか左とか、肌の色とかで区別されていたありがちなイデオロギーがいかに無意味でバカバカしいものかを人々の目の前で明らかにし、その固定観念をぶっ壊しながら、新しく、しかも正しい価値観(ここが重要)を提示してくれたのである。
だから、匿名性こそがインターネットの最大の長所なのだ。ちょっとだけ考えてみて欲しい、この素晴らしい利点を放棄して、またアホみたいな偏向メディアの報道を浴びせかけられ、従わないと白い目で見られるような生活にあなたは戻りたいのか?匿名性を手放すことがどんなに危険なことなのか?ちょっとだけでいいので考えてみて欲しい。
ちなみに、最初の松本人志の人気絶頂期→丸刈り期→マッチョ期という劣化の変遷も、本稿の文脈で考えれば、なぜ劣化したのかが簡単にわかる。生い立ちから人気絶頂期までは、ダウンタウンはあらゆる権威に歯向かうカウンターとして世の中に存在していたのである。ありとあらゆる権威、例えば、既存のお笑いの世界のフォーマット、日本の中心である東京の権威、等に対するカウンターカルチャーとして世に現れ、その才能を使ってカウンターを成功させたので時代の寵児となったのだった*2。だから、彼らの芸はオリジナルで新しく、アートと言えるレベルまで達したのだった*3。その後、あらゆる敵を倒して頂点に達し、地位を確固とさせ、支配する側に回った時に、松本人志の芸人としての面白さは悲しいことに霧散してしまったのだ*4。彼が天賦の才能を失ってまで何を手に入れたかったのかはよくわからないのだが、今の立ち位置(今はよくわからんコメンテーターになっちゃってる)を手に入れたかったのか、色々なことがあっての成り行きとしての今があるのか、それはともかく、昔の輝いていた腹から笑える面白さを味わうことはもう誰も出来ないのである。
*2020年8月1日追記:
このエントリの続編として、インターネットの特性を生かして、まず自分で調べる習慣をつけて、提示されるデータを素直に読めばもっと幸せになれるという旨の記事をへなちょこファクトフルネスとして書いてみた。こちらもご覧あれ。