映画「パラサイト」とケン・ローチと是枝と

話題の映画「パラサイト」を見てきたのである。月曜日は偉大だ。月曜日の昼間はガラガラの映画館を独り占めして、1,200円ででかい画面で映画を堪能できる。こんな贅沢はない。


と思ったのだけど、パラサイトについては過去の作品とは違い月曜の昼間なのにお客さんがかなり入っていた。客層も老若男女という感じで、暇な老人ばかりという感じでもなかった。


作品については、自分の感想は「10年に一本というほどの出来ではないが、十分に面白かった。今年のベスト3には確実に入ってくるだろうという出来」という感じだ。お金を払ってわざわざ映画館に見に行く価値は絶対にある。


自分の感想なんてミジンコレベルの価値しかないのはわかっているが、ここはそういうブログである。以下、気になったことをなんの脈絡もなく書き出して並べてみた。

カンヌ(というか、ヨーロッパ)は終わりきっている


いうまでもなく、ポリコレに侵食されたヨーロッパでは単純に面白い!と楽しめる痛快な映画がここ数年出ていないのである。個人的に刺さったのは裸足の季節くらいか。でも、これは2015年の映画でしかも舞台はトルコだ。


今回、パラサイトが受賞せざるを得ないほど、もはやヨーロッパで受賞レベルの映画を撮ることができる人はいなくなっているのだろう。パラサイトは確かに面白いが、クライマックスのパーティーの出来事やその後のエンディングの部分など、いささか強引であれれ?と思わさせるおかしい部分がある。そこらへんの部分については、勢いでごまかそうとしているが、ごまかしきれていなかった。それでも、この作品は昨年のカンヌでダントツでとにかく映画(=娯楽作品)として(ここが重要)面白かったのである。


カンヌが終わっているということは、イコールヨーロッパが終わっているということである。ヨーロッパの白人が世界の何かを自分たちの価値観で評価する、というのはいささか傲慢ではあるが、今まではそこまで調子に乗るだけの能力の差があったのである。しかし、今はフェリーニだってゴダールだっていない。残っているのは牛のゲップが環境破壊の原因と騒ぎ立てる気の狂った人たちがマジョリティの集団である。文化の発信源としてのヨーロッパの時代は残念ながら終わったのだと改めて痛感した*1

ケン・ローチ


個人的にはこの「パラサイト」とケン・ローチの「家族を想うとき」、是枝裕和の「万引き家族」が、いわゆる「格差映画」の三大作になるだろうと思っている(ちなみに、全員パルムドールを受賞している・・・)。ケン・ローチに関しては前作の「わたしは、ダニエル・ブレイク」もほぼ同じと言ってもいい内容だった。このテーマに関してのスペシャリストといってもいいと思う。


しかし、ケスプワカウ(Poor Cow)など、労働階級に生まれた人々のカルマとも言える人生の辛酸をを極めてイギリス的な(BBC的な)ドキュメンタリータッチかつナチュラルな美しい撮影で映していた作品と違い、この格差映画のケン・ローチは極めて偽善的だ。「左翼は働かない」という自分的に大好きな格言があるが、最近のケン・ローチの作品はこの現代左翼の基本姿勢である何もしないで上から憐れむだけの姿勢が見え隠れしてしまっているのである。遥か上空から何の取り柄もない人間が貧困に苦しむのを見て「あーかわいそー」と言った映画を撮られても、極東のイエローモンキーの一匹としては、誠実さを感じないのである。多くのファッション左翼と一緒で、弱者の味方を装いながら自分は豪邸に住み、毎日うまい飯を食っているんだろうというのがミエミエで、だまされやすいアホは知らないが、「家族を想うとき」と「ダニエル・ブレイク」には自分は1ナノミリたりとも共感できなかった。クソみたいな暮らしから逃れたいのであれば、何らかの努力をするしかない。それができないのであれば、のたれ死ぬだけの話である。何の努力もしない結果、落ちぶれたのであればそれは当然の結果であって、それでも余裕で暮らせるのであれば、誰も努力や勉強をしなくてもいいという理屈になる。実際、その結果として共産国家は朽ちていったのではないだろうか。だとしたら、この気持ち悪い弱者に対する視線は偽善でしかない。


彼に何があったのかは知らないが、もういいんじゃないかと思うばかりである。ケスの様な時代の優れたアーカイブという側面も最近の作品には全くない。わざわざ映画にしないで、Viceあたりのドキュメンタリーにしてしまえばもっと面白いのではないかというレベルである*2。また、息子のジム・ローチが似たような作風の映画監督になっていて、これまた左翼様お得意の世襲か?と思ったが、どうやら違うようである(自分は信じてないが・・・)。こんな感じで、本当にもう辞めて頂いて結構というのが長年のファンの願いである。

是枝と


万引き家族」については言うまでもない。この監督はそもそも監督としての力量や才能が全然ない。今まで、面白い、もしくは、完成度の高い作品を作ったこともない。巷で言われている、樹木希林の演技がうまいと言うのも、どこの何がうまいのか誰か説明してほしい。リリー・フランキー安藤サクラは別にいい役者ではない。なんとなくうまいとかいい役者という雰囲気やオーラを必死に出そうとしていても、世間の目はそう簡単には欺けない*3。「パラサイト」を見て一番思ったのは、同じテーマを扱っているこの「万引き家族」との役者の圧倒的な力量の違いである。


是枝はこれからもフジテレビの手厚いバックアップを受け、駄作を量産していくのだろうが・・・*4。本当に勘弁してよ、と思うばかりである。

パラサイト


で、「パラサイト」はどうだったのかと言うと、まず役者の演技力が半端なかった。背乗りが進んでいく過程については自分は気持ち悪くなりスクリーンから目を背けたくなるほどだった。各役者のツボを抑えた自然な演技は見事だった。この部分の日本との差はおそらく埋まることが永久にないだろう*5


また、映画に必要な映像美*6についても申し分ないくらい配慮されていて感心した。セットやカット割りがきちんと計算されているのがよくわかるので、こういった部分で変に気が散ることがなく映画の本編に集中することができた。


ストーリーに関しては、自分は正直格差とかどうかには興味はないのである。稼ぎたかったら働けばいいだけだし、それでも報われない国なのであれば、他の国に移ればいいだけである。それだけのことだ。だから、格差がけしからん!みたいなことを思いながら、それにうんうんと共感するという、教科書的なパターンで作品を見ることはなかった。ただ、ソウルの半地下での暮らし(元々は防空壕的な利用目的だったらしい)はかなり強烈でその実情を見ることができてよかった。この重要な部分での映像の質も是枝のそれと比べると段違いで優れていたと思う。是枝の映像の場合は、日本にありがちな三流インテリ左翼(いわゆるパヨク)と同じで、映像以前に最初から結論が用意されており、それに合わせて映像が制作されるため、肝心なリアルさがその過程で欠落してしまうのである。自分は「万引き家族」の次々と挿入されていく貧困エピソードのどれもが嘘くさくて、その度に、作品から蹴り出されて、醒めた現実世界に戻されてしまった。こういった部分でも監督の力量の差を感じて、映画(パラサイト)を見ている最中にあまりの違いに悲しくなってしまった。

最後に


これは完全に余計なことなのだが、決して主人公を南佳孝だと思ってはいけない。思ってしまった途端、映画とは関係なく「プールサイド」や「日付変更線」が頭に鳴ってしまうから要注意だ。いいか、絶対に思うなよ。絶対に・・・。

*1:となると残るのはつまんねー観光地とたいしたことないメシだけである・・・

*2:実際、Rule Britanniaという秀逸なドキュメンタリーシリーズを見ることができる

*3:実際は欺けているけど・・・

*4:ちなみに、国から金もらって国を批判する作品を作るゴミでもあります

*5:日本の場合は、見る側がそういったうまい演技を求めてないのが一番の原因だと思う

*6:これがテレビドラマとの違いを作り出している部分だと思う、もうそんなものなくなりつつあるが